
しんどい。生きることがしんどい。自分で死ぬ勇気はないし、まだまだ生きたいけど、でもとりあえずしんどい。
正確に言うと、寂しい。ものすごく寂しい。孤独というやつだ。
例えば会社の飲み会は楽しい。
ほどほどに仲のいい人達と家で飲むのも楽しい。だけど心の底から楽しいかと言われればそこまでじゃないし、酒で自分の感情をわからなくしている部分がある。
「これ、ただ寂しさを紛らわしているだけだよな」と気付くと、猛烈に自己嫌悪に陥る。
寂しい。猛烈に寂しい。クソみたいに寂しい。誰かの側にいたい。誰かの側にいて安心していたい。
生きることがしんどい。自分で死ぬ勇気はないし、まだまだ生きたいけど、でもとりあえずしんどい。
この理由はなんとななく分かっている。
自分の思うように生きようとしていないからだ。傷つくのを怖がっているからだ。
やりたいことは失敗を恐れずにやる。
やりたくないことは勇気をだしてやらない。
苦手な人とは関わらないようにする。
逆に好きな人とはたくさん関わるようにする。
それが異性なら結果が分かっていても想いをちゃんと自分の口で伝える。
自分の心が本当に喜ぶことを、求めていく。
清々しく、生きる。
生きることがしんどくならないようにするにはこれだと思う。
「生きることは楽しいこと」
という言葉と
「生きることは辛いこと」
という2つの言葉が存在するけど、僕は後者だと思う。
生きていると寂しさを感じることがたくさんある。
だけど、それを紛らわしちゃえば、後々もっと寂しくなるし、しんどくなる。
見せかけではなく、本当の意味で「生きることは楽しいこと」を体感して生きている人は、心の底で「生きることは辛いこと」ということを分かっている人間だ。
だから余計なことで孤独を紛らわさないし、それと向き合う。そして、楽しく生きることができる。
生きることは辛い。寂しい。しんどい。
でも、生きているから感じることができるものがある。
自分を大事にしようとするから、自分が傷つかないように無難な選択ばかりを繰り返し、結果としてほんとうは開きたがっている生命の種を「安全な生活」によって捻り潰してしまう。現代社会は別に本気なんて出さなくても生きていけるからこそ、本気を出せないことが生命の実感を遠ざけている。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) April 5, 2015
自分が嫌だと思うことには、はっきりと嫌だと言う。同じように、自分が好きだと思うことに対しては、周囲の人間が何と言おうが「自分はこれが好きだ」と宣言する。周りがどうあれ自分自身は、言いたいことを言う、やりたいことをやる、それだけのことで人間は清々しく生きることができる。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) April 21, 2015
そして死ぬときに思うのだろう。「もっと傷つけばよかった」と。もっと自分を投げ出して生きれば良かったと、成功するとか失敗するとかそういう次元を飛び越えて、自分を投げ出すことで「もっと生きていることを実感したかった」ということを、死ぬ間際に痛烈に感じながら消えていくのだろう。坂爪圭吾
— 千明 公司 (@chigirakoji) April 19, 2015
生きよう。喜びをかみしめよう。
生きることは、本当はきっと楽しいことだ。